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自殺chapter7
江藤淳の自殺と識者の自己矛盾
「乞う、諸君よ、これを諒とせられよ。」

 

平成11年7月下旬、「日本の知性」と呼ばれた一人の文芸評論家が、自らの命を立ちました。

江藤淳。文学や政治、国家を意気軒昂に論じていた氏が、なぜ自殺を選んだのでしょうか。

・生死の苦海ほとりなし
ひさしくしずめるわれらをば
弥陀弘誓のふねのみぞ
のせてかならずわたしける(親鸞聖人 高僧和讃)

約800年前、京都に生まれられた親鸞聖人は、我々の人生を、「生死の苦海」と言われています。生死とは苦悩のこと。苦しみ悩みの絶えない海が人生であり、「難度海」ともいわれます。度り難い、真っ暗な海です。

その苦海には、「ほとりなし」で寄る辺がありません。「ひさしくしずめるわれら」、苦海に沈んでいるすべての人は、あまりに苦しいので、目前に浮かぶお金や財産、妻子、健康などの丸太や板切れを目がけて泳ぎ、すがっているのです。

しかし、すがってしばらくは安心、満足できるが、やがて大小の波が来て、投げ出され、潮水飲んで苦しみます。すると、より大きな丸太や板切れを求めてすがり、裏切られては、また求める。それを繰り返しているのが、人間の相なのだと示しているのです。

自殺者はその海で、丸太や板切れに裏切られ、苦しみのあまり、自ら命を絶った人たちであり、知識人といえども、例外はありません。

最高知性も知りえぬ人生の解答

文芸評論家の江藤淳氏は、東京都知事の石原慎太郎や、ノーベル文学賞受賞作家・大江健三郎らとともに日本の最高知性と目されていた人物です。その遺書には、次のようにあります。

・心身の不自由は進み、病苦は堪え難し。去る6月10日、脳梗塞の発作に遭いし以来の江藤淳は形骸に過ぎず。自ら処決して形骸を断ずる所以なり。乞う、諸君よ、これを諒とせられよ。

自殺の前年11月に、40年連れ添った妻・慶子さんを、ガンで亡くした江藤氏は、以降、自身の病気で入退院を繰り返しました。健康や妻など、心の支えであった大きな丸太を失った苦しみ、悲しみが、氏を死に誘ったに違いありません。遺書の最後では、友人や読者に承諾をも求めています。

江藤氏といえば、健筆を揮って、自分にも他人にも生きることを説いてきた人です。その自殺は、氏の著作を読み、信じて、人にまで勧めてきた人にとって、背信行為ともいえるでしょう。

しかし、著名人の中に、氏の自殺礼讃に言葉を費やしている人が多いのはどういうことなのでしょうか。

・奥さんの後を追って死んだんだね。とっても美しい・
・美しい限りで、それは、我々が失ったものの大きさをまったく違う次元で十分に贖ってくれるはずではないか。彼から、『諸君よ、これを諒とせられよ』と請われて、彼を愛した者たちとして、何を拒むことが出来るだろうか(石原慎太郎)

・奥さまへのいたわりや、やさしさも生涯、深く貫かれ、本当に後を追うように逝かれたのですね(瀬戸内寂聴)

・彼の強さが、単なる自殺ではなく、矜持を保ったままの"自決"を選ばせたが、その本質は、限りない優しさによる、"妻への殉死"だと思う。(浅利慶太)

どれもみな、彼の場合は、自殺は認められると言わんばかりです。

妻に先立たれ、子もなく、自らも病に倒れた。患部は癒されつつあったが、心の寂しさは癒されない。その侘しさには心が痛むが、だからといってそれが、自殺を認める根拠になるのでしょうか。

実際は、自殺をいさめるべき識者の多くが、江藤氏に説得され、「諒」とうなずいてしまっているのです。生命は尊厳と言い、ヒューマニズムを標榜して、自殺を抑止しようとしてきた言論人にとって、それこそ自殺行為といっても、過言ではないでしょう。しかも彼らは、その自己矛盾にさえ気付かず、また、それに疑問を提示する声も聞きません。

江藤氏の自殺を「諒」とし、美化する人も、毎年3万人を超える日本の自殺を、「諒」とはしないでしょう。

自殺を、ある時は是とし、ある時は非とするのは、そこに都合や主観が介在していることを表します。この場合は、江藤氏の生前の功績や人柄、亡き妻への愛情に対する感傷でしょうか。

動機はともあれ、死は、どんな人にも訪れます。そこには、生前の様々なレッテルは、まったく役に立たず、生きている人間が優劣美醜を判断できるものでもありません。

苦悩の根元「無明の闇」

では、なぜ自殺はいけないのでしょうか。いかに苦しくとも生きねばならぬのは、なぜでしょうか。

自殺の是非は、死後と大きく関わっています。自殺を是とするのは、死ねば今より楽になれると思うからです。江藤氏も、姪に宛てたもう1通の遺書に、「慶子(妻)の所へ行くことにします」と書いて、先に死んだ人に会えることを想定していました。

釈迦は、『大無量寿経』に、

・従苦入苦、従冥入冥(苦より苦に入り、冥より冥に入る)

と説かれ、現在が苦ならば、死後も苦。今、心が暗ければ、死んで堕つる世界も闇だというのです。

すべての人は、「無明の闇」といわれる、明かりのない、闇の心を抱えています。仏教ではこの無明の闇が、苦悩の根元と教えられています。

人間関係や病の苦しみ、経済苦なども深刻ですが、それらの根底にある苦しみの根本を知らないからなのであり、自殺は何の解決にもなりません。

その苦悩の根元が解決されないかぎり、何をやっても、何を得ても、人生は苦しみになるのだと、教えられているのです。

 

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