H05-善悪の彼岸/ウィンストン・チャーチル

善悪の二つ、総じてもって存知せざるなり(歎異抄)

1939年9月1日、ナチス・ドイツがポーランドに侵攻。ただちにイギリス、フランスはドイツに宣戦布告し、第2次世界大戦が勃発した。


エニグマ暗号機(Wikipedia)
1940年6月、フランスがドイツに降伏し、フランス軍はドーバー海峡を渡ってイギリスに逃れる。ヨーロッパ西部をほぽ制圧したドイツは、イギリスに降伏を迫った、イギリスは断固拒否。同年7月、ドイツはイギリス本土へ本格的な空襲を開始した。

特にロンドンヘの空襲は、9月から10月はじめまで続いた。大きな打撃を受けていたイギリスにとって、ドイツ軍の情報入手が最重要課題だったが、ドイツ軍は「エニグマ」という優秀な暗号作成機を使って通信していた。

第2次世界大戦においてドイツの「エニグマ」、日本の「パープル」は、解読が困難な暗号として有名である。エニグマは3つの歯車と電気プラグで暗号を組み替えるもので、その組合わせの数は10京(兆の10万倍)。しかも、ドイツ軍は毎日、暗号の組み合わせを変えてくるため、暗号の解読は不可能とされていた。

暗号解読に成功


再現されたボンベ(Wikipedia)
イギリスは、ドイツ軍の暗号を解読するため、外務省暗号研究所に約1万人の人材を投入する。

その中、数学者のアラン・チューリングを中心とするチームが、電磁石を使った電気式計算機「ボンベ」を開発し、1940年11月、見事にエニグマ暗号の解読に成功したのだ。

さっそく傍受したドイツ軍の暗号を解読した結果、ドイツは攻撃目標をロンドンから別の都市へ変更。最初の標的はロンドンの北西にあるコベントリーという町で、攻撃の日は、11月14日と判明した。

情報はチャーチルのもとに伝えられ、暗号研究所のメンバーは、イギリス軍がドイツ軍を返り討ちするニュースを心待ちにしていた。

情報を無視したチャーチル

ところが、チャーチルはこの情報を無視。コベントリーは無防備のまま空襲を受け、街は壊滅的な被害を受けた。


ウィンストン・チャーチル(Wikipedia)
チャーチルはコベントリーを失うことよりも、イギリスの暗号解読能力を知られることを恐れたのだ。

この後も、ドイツはエニグマより格段に解読が難しい新型暗号機を開発するが、イギリスも真空管を使った世界初の電子計算機「コロッサス」を1943年12月に完成させ、この暗号を解読させている。これらはすべて最重要機密として扱われ、その存在が明らかになったのは、戦後30年たってからである。

エニグマ暗号が解読可能なことも、長く秘密にされた。大戦後イギリスは、ドイツから大量に押収したエニグマ暗号機を、中南米やアフリカ諸国に「高いコンピューターを使わずに解読不可能な暗号を作る機械」と言って、売却している。

エニグマを買った国は大喜びで、外交文書をエニグマで暗号化し、大使館や情報機関とやり取りした。もちろん、この情報はイギリスには筒抜けであった。

市民を犠牲にしても英雄

イギリスは国家機密を守るために多くの自国の市民を犠牲にしたが、これは正しい判断であったとされた。チャーチルは英雄となり、1953年には、『第2次世界大戦回顧録』で、ノーベル文学賞を受賞している。

「1人殺せば悪人だが、100万人殺せば英雄だ」と言ったのはチャールズ・チャップリンである。法律や道徳・倫理では、善悪の境を分けることはできないのだ。

是非しらず、邪正もわかぬこの身なり(親鸞聖人)

"この親鸞は何が善で何が悪なのか、それさえ分かっていない"

これが、相対的善悪の本質ではないだろうか。

コベントリーの町の中心広場には、第2次世界大戦時に爆撃を受けた建物が、今でも当時のまま残されている。市民はいつまでも、この空襲を忘れずにいる。

(この話については、暗号解読者たちがコベントリーのコードネームを知らず、当夜の空襲はロンドンだと思いこんでおり、チャーチルもコベントリー空襲を知らなかったという説もある)