L01-親鸞聖人が好きだ/吉川英治

「親鸞聖人が好きだ」吉川 英治

「わたくしは、何ということなく、親鸞がすきだ。蓮如がすきだ。すき、嫌いでいうのはへんだけれど、正直な表現でいえば、そうなる」(吉川英治)

『宮本武蔵』『新書太閤記』などの著作で知られる吉川英治は、生涯、親鸞聖人を慕い続けた人でした。

ようやく物心ついた11歳で一家破産、のんだくれの父、母、長男・英治ら6人の幼子たちは、明日の米すらない極貧生活を強いられます。以後、わずかな日給のために植字工、ヨイトマケ、按摩などを転々……まさに彼には、今風な青春の楽しみなどなかったと言っていいでしょう。

そんな泥まみれの青年期に親鸞聖人にふれ、その生きざまに強く魅せられてゆくのです。文才を認められて作家活動に入り、作品『親鸞』を執筆したのは、43歳のときでした。

その単行本の序文には、こうあります。

「自分の人生体験が多少とも深まり、人生観や宗教観も固まって50歳か60歳になったなら、もう一ぺん親鸞という人間像にぶちあたって書き直す」

だが、その約束はついに果たされませんでした。

「今日になってそれに手をつけるとなると大変だと思うばかりで、いつかはと思っているが、なかなか手が出ないのです。それは人生の観方、宗教への考えなどが年とともに深まれば深まるほど、親鸞像というものが果てしなく広く深いことがわかってくるからです」

こう述べたのが67歳。この3年後に亡くなってしまうのです。

親鸞聖人を敬愛して止まなかった同氏はまた、真宗の衰退には、激しく悲嘆せずにおれません。

蓮如上人の450年大遠忌に際しての随筆で、教えの抜けた儀式に、こう憤激しています。

「なぜことしも、蓮如の大遠忌などをやるのだろう。いや大遠忌はけっこうである。が、依然たる大伽藍の荘厳と、儀式と、むなしい法会修行の群集をほしがるような形式を捨てないのであろうか」「仏教のさかんとは、そんな作った光栄や、演出ではないとおもう。(中略)私はもう、歯に衣着せずに言っておく。今にして心から醒めなければ、ああ勿体ない、本願寺は、地上からなくなるだろう」

太平洋戦争後、まもない頃の訴えですが、この吉川英治の叫びは、現在ますます痛切になっているのではないでしょうか。