P13-死そのものの苦しみ/岸本英夫
東京大学の図書館館長であり、宗教学者でもあった岸本英夫は、1954年、米国滞在中に余命半年という癌の告知を受けました。
以来、20数回の手術を伴う10年間の闘病生活の末、1964年にこの世を去るまでの記録が『死を見つめる心』(講談社文庫)という本に残されています。
岸本英夫は告知直後の死の恐怖を「まっくらな大きな暗闇のような死が、その口を大きくあけて迫ってくる前に、私はたっていた」と表現し、その後の闘病を通じ、死の苦しみの本質とは「死にいたる苦しみ」ではなく、「死そのものの苦しみ」であると告白しているのです。
それゆえ、死の苦しみについて、人々が、まず思うのは、死にいたるまでの肉体的な苦しみである。高い熱がいつまでも続く。胸が、しめつけられるように苦しい。呼吸が困難になる。脈搏が乱れる。咳が、喉につまる。異常な神経の興奮と不安のために、夜は眠れない。まっくらな空間を、しっと見つめて、夜明けまでの長い時間を待たなければならない。美しかった人の皮膚も、ツヤを失って青黒くなる。やせ衰えて、醜くなる。そして、ついに、断末魔の苦しみが来る。口からはあわを吹き、大小便を垂れ流して、あえぎながら、最後の息を引きとる。
思っても、ぞっとすることである。健康をほこり、日々の生活を楽しみ、美しく着飾って、上品な立居振舞いをしているつもりのこの自分に、そのような恐るべき苦しみ、醜さ、あさましさが、黒い大きな口を開いて待っているのである。
そこで、死にいたるまでの病の苦しみさえなければと、人々は考えるそれさえなければ、死も、それほど、こわいものではない、とすら思う。
しかし、その考え方は、まだまだであるそれには、まだ、問題の混同がある。死にいたるまでの苦しみが、あまりにはげしいので、それと、死そのものの苦しみとを、混合しているのである。そして、死にいたるまでの肉体的な苦痛を解消できれば、それで、死の問題は、すっかり、解決したかのように考える。しかし、問題は、それほど単純ではない。死の苦しみの中には、もっともっと、深刻なワナがかくされている。
肉体的な病気の苦しみは、かりにそれが苦しくても、それは、死にいたるまでの、ことである。その途中の苦しみにすぎない。死そのものの苦しみではない。死にいたるまでの肉体的な苦しみと、死そのもののもたらす精神的な苦しみは、別のものである。死の苦しみは、いわば、二重の構造を持っている。途中の苦しみとは別に、その奥に、もっと、直接な、死自体の苦しみが潜んでいる。この2つは、混同されてはならないのである。
死自体を実感することのもたらす精神的な苦しみが、いかに強烈なものであるか、これは、知らない人が多い。いな、むしろ、平生は、それを知らないでいられるからこそ、人間は幸福に生きていられるのである。しかし、死に直面したときには、そうはいかない。人は、思いしらされる。その刺し通すような苦しみが、いかに強烈なものか、そのえぐり取るような苦しみを、心魂に徹して知るのである。
その極端な例は死刑囚の場合である。私は、死刑囚の精神的な苦しみには、言語に絶するものがあろうと想像する。死刑囚の死の苦しみは、絞首台の上で、死刑を執行されるときだけのものではない。その苦しみは死刑の宣告をされたその時からはじまる。その時から心の中で、すさまじいあらしが荒れ狂いはじめる。三日生きれば三日間、十日生きれば十日間、そのあいだじゅうが、絶え間ない内心の血みどろの戦いである。そうした一刻々々を、一寸刻みに苦しみながら、二年も三年も、独房で死を見詰めていなければならないとしたら、どのような精神状態になるか。気が狂う死刑囚が、たくさん出るのも、無理のないことである。一種の、精神的な、なぶり殺しである。
そうした必死の場合における生への執着は、決して、単なる観念的な思惟ではない。それはもっと、直接である。人間の思惟を越えて、肉体の奥底から、激しく迫ってくる。死の恐怖は、生理的である。その点でもそれを、われわれは、食欲にことよせて実感することができる。空腹感、飢餓感は、その当事者にとっては、理屈ではない。胃の腑の底から押し上げてくる有無をいわせない。それと同じである。生への執着は、人間の五体の中を駆けめぐりところせましとたけり狂う。手足の末端にある細胞の、1つ1つまでが、たぎり立つ。
このような、直接的な、生理心理的を死の恐怖の前には、平生用意したつもりであった観念的な解決は、影の薄い存在になってしまう。このはげしさに対抗できるような力を持たない。賢いといわれた人も、学問のある人もおそれおののき妄念のとりことなり、身も世もあらぬ取り乱した状態になってしまうのは、これだからである。
(講談社文庫「死を見つめる心」岸本英夫 著 一部改行を入れています)
私の知るある外科医は、
「死なんて怖くないと言う人もあるようですが、私が接した千人以上のガン患者にそんな人は一人もいませんでした」
と語っています。
平生、どんなに理想や真理を口にし、知識や教養を山積みしていても、眼前に迫る後生には何の解答も与えてくれないのです。
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