L04-人生は無意味な悪の連続である/トルストイ

人生は無意味な悪の連続である、これは疑う余地のない厳然たる事実だ。(トルストイ)

ロシアの大文豪トルストイは、その著『懺悔』の中で、「私はつねに人生の意義の探究に向かって突き進んだ」と書いています。

人はなぜ生きるのか。

彼は、その解答を、それまでの人間の知識の中に求めました。そしてあらゆる人間の知識は、2つに分けられる、というのです。

1つは実験科学、もう1つは哲学です。しかし、このいずれにも、人生の解答はなかったと記しています。

知識では解決できぬと知ったトルストイは、悲嘆の中から、周囲の人々の生きざまを観察することで、人生の意義を見出そうとしました。人々の生き方は、四通りでした。


トルストイは、人生の意義への答えは、
知性では解決できないと知った。
第1は、無知無識の道。人生が無意味であることを知らない人たちです。

第2に快楽主義。人生に望みのないことを知りつつも、真実を直視せず、享楽にふけっている人々です。

第3は自殺。生が悪であり、無意味であることを知り、自分で自分を絶滅してしまうのです。

トルストイは、「強いしっかりした性格の少数の人が、こういう生き方をする」と言い、彼自身もひきつけられましたが、彼にはまだ、そこに突入するまでの絶望感はありませんでした。

第4は、弱気の生き方。すべてを知りながら、自殺する力もなく、ぐずぐずと、ただ生きている人たちです。「この生き方は、私にとって実にうとましかった。しかも私は、こうした境地にとどまったのであった」

理性ではどうあがいても、生きる意義は見つかりませんでした。ついに彼は、信仰の道に入ってゆきます。

キリスト教――それは三位一体の神であり、6日間の創造、悪魔、天使であり、彼のいう「気でも違わない間は、絶対排斥せざるを得ないような代物」でありました。

「私は理性にもとづく知識の道に、生の否定以外の何物をも見出し得ず、また信仰の中からは、理性の否定以外の何物をも見出し得ないことを知った」

深刻な矛盾に苦しむトルストイは、82歳で世俗を一切断ち切って家出。4日目、いなかの駅で肺炎で死亡しました。

理性を超えた真の宗教を知り得なかったことが、真摯な魂を悲劇に追いやったのでしょう。