L05-自殺か、狂気か、宗教か・・・/夏目漱石

人生、3つの選択〜漱石の煩悶

「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか。僕の前途にはこの3つのものしかない」(夏目漱石『行人』)

小説『行人』のなかで、漱石は、登場人物にこう語らせています。

自殺か、狂気か、宗教か。真剣な人生の究極の生きざまは、これしか選択の余地がない、というのです。
書くことで、徹底的に自己を追究した漱石は、この3つの選択肢の間を揺れました。

『門』には、象徴的な次のような文章があります。

「自分は門をあけてもらいに来た。けれども門番は扉の向こうにいて、たたいてもついに顔さえ出してくれなかった。
ただ、『たたいてもだめだ。ひとりであけてはいれ』と言う声が聞こえただけであった」


「自己の心のある部分に、人に見え
ない結核性の恐ろしいものがひそん
でいる」と漱石は書いている。
「自己の心のある部分に、人に見えない結核性の恐ろしいものがひそんでいる」

のを自覚した主人公が、それを直視しようとしない虚偽に耐えられず、鎌倉の禅寺に救いを求める。

だが、門は閉ざされたまま、答えはついに得られない。これは、若き日の漱石自身の体験です。

自殺はできぬ。狂気にもなりきれなかった彼は、仏教、とりわけ禅宗に傾倒してゆきました。

晩年、しきりに語った言葉「則天去私」は、自我を捨て去り、安らかな宗教的境地を得たいという彼の願望でしよう。

亡くなる前年から、2人の若い禅僧と交遊し、多くの手紙を送っています。

「変なことをいいますが私は50になって始めて道に志す事に気のついた愚物です。その道がいつ手に入るだろうと考えると大変な距離があるように思われてびっくりしています」「私は死んで始めて絶対の境地に入ると申したいのです。そうしてその絶対は相対の世界に比べると尊い気がするのです」

ところが死の直前、ひどく苦しみはじめた漱石は、

「今死んだら困る」

と言い放ったのです。
やがて意識を失い、呼吸がとまりました。享年50歳。