L06-鎌倉という時代/司馬遼太郎「鎌倉(時代)というのは、一人の親鸞を生んだだけでも偉大だった」(司馬遼太郎) 『竜馬がゆく』『坂の上の雲』などの歴史小説で知られる人気作家・司馬遼太郎さんが、『日本と仏教』というエッセーの中で、こう書いています。 「ヨーロッパの宗教改革は16世紀だったが、日本は13、4世紀の鎌倉時代がそれにあたる。鎌倉仏教はその後の日本人の思想や文化に重大な影響を与えるが、その代表格はなんといっても親鸞の浄土真宗と、禅宗にちがいない」
「親鸞は、阿弥陀仏を唯一的存在と考えその本質を光明としてとらえた。この絶対の光明は、天地にあまねくみちみちていて、その本願は、人を洩れなく救って浄土に生まれさせてくださるものだという。この場合、有限者である人間がとなえる念仏は呪文ではなく、無限者である阿弥陀仏への感謝の言葉なのである。親鸞の思想には、一切呪術性がなく、つよくそれを排除している」 司馬氏は、非合理な一切の迷信を排斥された親鸞聖人のみ教えに、驚嘆しているのです。 「かれにあっては”光明”は絶対的に人間を救済してくださるとしながら、人間は”光明”の前で自己否定しつくして透明化する方向を示唆している」 きわめて哲学的な表現で、聖人の真髄にアプローチレていますが、残念なことは、次に、こう書いています。 「その境地にあっては、人間はその生死を”光明”につつまれて喜びに満ちるはずだが、親鸞は正直に『残念ながら自分はまだその境地を知らない』ということを『歎異鈔』で、唯円に語っている」 『歎異鈔』の9章をこう解釈してしまうのは、他力不思議を知らぬ悲しさでしょう。 喜ばぬ心が見えれば見えるほど、「他力の悲願はかくの如きの我らがためなりけりと知られて、いよいよ頼もしく覚ゆるなり」と喜ばずにおれない煩悩即菩提※の世界こそが、阿弥陀仏の光明に摂取された無碍の一道の境地なのですから。 [※煩悩即菩提とは、シブ柿のシブがそのまま甘味になるように、煩悩(苦しみ)一杯が功徳(幸せ)一杯となることをいう]
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