P02-哲学は、死の準備/モンテーニュ

 キケロは、「哲学をきわめるとは、死の準備をすることにほかならない」と言った。世のあらゆる知恵と理論は、結局、われわれに死を少しも恐れないように教えるという一点に帰着する。(モンテーニュ)


結局、われわれには、不変のも
のは何も存在しない。
(モンテーニュ)
仕事に疲れ果てたフランスのモンテーニュは、自分の城にとじこもり、読書三昧の生活を送りました。

38歳の時です。書斎の天井にギリシア語やラテン語の格言をたくさん記し、フランス語でただひとつ「私は何を知っているか」と書きつけたといいます。

彼は、ギリシア・ローマの古典には誰よりも精通していましたが、知るほどに自分の無知を思い知らされ、人間の行為、考えは実にいい加減であることに気づきました。

冒頭の言葉は、彼が書きつづった『エッセー』という随想の一節。キケロとは、愛読したギリシアの哲学者です。

また、こうも言います。

「あらかじめ死を考えておくことは自由を考えることである。死の習得は、われわれをあらゆる隷属と拘束から解放する」

あるテレビ番組で、タレントのビートたけしが、「死が、諸悪の根源だ。何がこわいといっても、結局これなんだ」と言っていましたが、たけしもなかなかの哲学者ですね。

モンテーニュは、更に辛らつに指摘します。

「人生の有用さはその長さにあるのではなく、その使い方にある。長生きをしても、ほとんど生きなかった者もある」

寿命の延びた今日、とりわけ重い響きがあります。

人生の真理を求めながら得られず、彼の苦悩は次第に深まっていきました。

「結局、われわれには、不変のものは何も存在しない。われわれの判断も、たえず流転する」

唯一、変わらないと思えたのは、人間の愚かさでした。

「自分はばかなことを言ったとか、したとかを学ぶだけでは、何にもならない。自分は愚か者にすぎないということを学ばねばならぬ」

哲学者の結論は、大概このあたりに落ち着くのですが、そこからどうすべきかは、誰も教えてくれません。