P03-死を見つめる―人生の出発点/キルケゴール

「たとえ全世界を征服したところで、自分自身を見失ったら、何の益があろうか」(キルケゴール)

ドイツの大哲学者へーゲルは、それまでの哲学を壮大な体系にまとめあげた人。いわば、音楽の世界でいうべートーベンです。

そのへーゲルの観念論哲学を「逆立ちしている」と批判し、唯物論哲学を打ち立てたのが、マルクスでした。

もう一人、へーゲルの影響を強く受けながら、体系、全体ではなく、自己自身の探究に厳しい目を向けていったのが、デンマークのセーレン・キルケゴールです。彼は、歴史がどうの、世界がどうの、という議論には背を向け、あくまでも一個の人間たる自分がどう生きるか、という課題に没頭していくのです。

人間存在そのものの苦しみを、「死に至る病」と名づけ、必ず死にぶち当たる人間の本質を、絶望あるのみ、と規定します。

この死を、どう克服するか。

これが、キルケゴール哲学の最大の問題でした。

死をのりこえた本当の自己を「実存」とよび、そこにこそ人間の至福がある、と彼は考察しています。


キルケゴールは、人間存在そ
のものの苦しみを、「死に至る
病」と名づけた。
現代人は、忙しい忙しいと日々の生産活動に追われて、死を忘れています。子供のころから競争原理の中に放り込まれ、成人してからは、巨大な資本主義社会の1つの歯車として生きることを余儀なくされています。

ジャパン・アズ・ナンバーワンの日本は、資本主義体制の勝者のように思われましたが、過労死やら、ひきこもりやら、うつ病等の精神病が激増、自殺者も後を絶たないのが現実です。

キルケゴールの言葉を借りれば、

「たとえ全世界の富を手にしたところで、自分自身を見失っては、何の幸福があろうか」

死を忘れて生きる人間に、真の生の充実はありえません。

心静かに考えてみるべきではないでしょうか。

死を見つめる――人生の出発点は、実に、ここにあるのです。