P06-人間は考える葦である/パスカル

「人間は考える葦である」(パスカル)

古来、人間の定義は、さまざまになされてきました。
学問的には、霊長目ヒト科に属するホ乳類、ホモ・サピエンス(知恵ある人)。


「人間はひとくきの葦にすぎない。自然の中で
最も弱いものである。だが、それは考える葦で
ある」(パスカル)
「人間は社会的動物である」
と言ったのは、古代ギリシアの哲学者アリストテレスです。

「人間は半ば社会的、半ば孤独な存在だ」(ラッセル)
「人間は、どんなことにでも慣れる動物だ」(ドストエフスキー)

デカルトは「心をもった機械」といい、20世紀オランダの歴史家ホイジンガは「ホモ・ルーデンス」(遊ぶ人)と名づけています。

「ホモ・ファベル」すなわち作る人、という言葉もあれば、
「生産する動物」「道具を使う動物」ともいわれます。
「裸のサル」と言った人もいます。

しかし、人間を表現したもので、最もよく知られているのは、フランスの哲学者パスカルの次の言葉でしょう。

「人間はひとくきの葦にすぎない。自然の中で最も弱いものである。だが、それは考える葦である」

『パンセ』の一節です。

「人間の尊厳のすべては、考えることのなかにある」
「考えが、人間の偉大さをつくる」

とも書いていますが、パスカルは、物事を実に徹底的に考え抜いた人でした。
彼は、人間についてこう言います。

「すべての人間は幸福を求めている。これには例外がない。その手段がいかに異なっていようとも、みなこの目的に向かっている。意志は、この目的に向かってでなければ、一歩も前へ進まない。これはあらゆる人間の、みずから首をくくろうとする人に致るまでの、あらゆる行為の動機である」

人生の目的は幸福であるとした上で、パスカルは真の幸福を考察していきます。
そして彼は、人間が幸福になるには、死の問題を克服し、来世での幸せが保証されなければならない、と確信します。

「死んだら死んだときだよ」
とウソぶき、まじめに死を考えようとしない輩は、
パスカルに言わせれば”人間じゃない”のかも知れません。