P15-「生の実証」が崩れたとき/ヴィクトル・ユーゴー

この世の中で何が間違いであっても、自分が生きていること程、疑う余地はないと私たちは、自分の「生」を当り前のように思っています。

人生における営みはすべてこの基盤の上に成り立っていると言って良いでしょう。

意識するとしないとにかかわらず、毛頭疑いたくない、最も信頼すべきものが生の実証であり、最も強い心の支えとも言えます。

ではこの「生の実証」が崩れたとき、私たちはどうなるのでしょうか。

明治大学法学部教授で、死刑廃止運動の旗手として知られる菊田幸一氏が、その著書「死刑 その虚構と不条理」の中で、こうレポートしています。

処刑の日を待つ死刑囚の心境ほど死刑のむごさを示すものはない。処刑は朝の10時ごろに行なわれる。毎朝、定期便のような「死の恐怖」におそわれる。ある死刑囚の手記から、その心境を引用しておこう。

「朝の掃除を終って全員部屋にはいっている。廊下は水を打ったようにシーンとしている。やがて運動が始まる前である。そこへ突然、廊下に大勢の靴音が高らかになり響いてくる。お迎えだ! お迎えに違いない! 地獄の使者のような靴音。
死刑囚は吸いよせられるように扉に近づく。胴震いしながら、視察孔から廊下の左の方をうかがう。入口の所に大きなつい立てがある。その陰から私服姿の教育部長が現われる。つづいて制服の役人が10人あまりはいってくる。係長は教育部長を挙手の礼で迎える。それから個々の部屋をさして、そばの看守に目くばせした。僕は息がつまった。もう外をみていられなくなった。僕は弾かれたように机のそばを離れた。首筋から背中にかけてゾッとするほど冷たいものがへばりついていた。
机にもたれかかるようにして座った。係長はたしかにこの房をさした。胸の早鐘を聞きながら、人心地もなく机にしがみついていた。粗末な机がガタガタなった。『早くきやがったな』そう思った。
つい立てのところでいったん停っていた靴音が、再びいっせいに鳴りはじめた。地獄の使者はいよいよ迫ってきた。もう駄目である。
靴音がいっせいにやんだ。急に静けさを取り戻した廊下で、部屋の入口の柱に取りつけられている鍵穴に大きな鍵を差し込む独得の金属音につづいて、扉をがっちり止めていた鉄のアームが、がたんと下に落とされた音が聞こえた。だが、それはぼくの部屋ではなかった。向い側だ。
いや何房でもいい、とにかく僕ではなかったのだ。違っていた。ぼくはどうやら助かったらしい」

刑務所に収容されている受刑者で、5年、10年独房生活をつづけている囚人でも、遠くで聞こえる鍵のあけ方の音でだれが開けているかを的確に当てる者はいない。しかし、死刑確定者は、ものの3ヶ月もすれば足音を聞いただけでどの職員が歩いているかを知っており、房の扉を遠くで開閉する音の反響で、何房をだれが開けたかを大体知ることができるといわれる。そんな調子であるから、今日はだれか執行される日だと知ると、その時間には同囚のその場の光景を身にあてはめて、恐ろしいほど神経が緊張する。このくり返しの日々から死刑囚の大半は精神に変調をきたしている。原始反応からヒステリーや被害妄想にいたる多彩な病像を呈し、広義の拘禁反応を起している(加賀『犯罪ノート』23ぺージ)。

死刑囚の多くは、そのまま生きておれば老人に至るまで、かなりの余生をもつ肉体的に健康な者たちである。それだけに肉体より先きに精神がおかされる。そうならない方がおかしい。死刑制度は肉体を殺す前に、囚人の精神を圧殺し、亡ぼすという残虐このうえない刑罰である。
(三一書房「死刑 その虚構と不条理」菊田幸一著)


我々は悉く死刑の判決を受けている
死刑囚である(ヴィクトル・ユーゴー)
では死刑囚とは一体誰のことなのでしょうか。

フランスロマン主義の作家、ヴィクトル・ユーゴーは語っています。

「我々は悉く死刑の判決を受けている死刑囚である。それが人生という牢獄につながれている。毎日監守がコツコツと扉をノックして、一人づつ死刑場へとつれ出してゆく、我々はただ自分の順番を知らないだけなのだ」

今日は誰の上にその順番が迫ってくるかわかりません。我々自身が死を逃れることの出来ない「死刑囚」なのです。

かくもはかなく、もろい生命をかかえて、人は何を考え、何を求めているのでしょうか。