P16-精神分析は時間と金の無駄であった/キューブラ・ロス

『死後の世界の証明』『死ぬ瞬間の書』など"あの世関連本"を次々と出版、果ては「大霊界」なる映画まで作り、すっかり死後づいているのが、俳優の丹波哲郎さんです。

毎年、その種の講演を30回以上もやり、今やそこらの仏教僧侶など足元にも及ばぬ"布教実績"で「丹波教」とまで言われかかっています。

その丹波哲郎さんの、死後研究のきっかけになったのは、親友のガン死だったそうです。

以下は講演会に聞く、彼の弁です。

…もう20年ぐらい前になりますが、新東宝時代、大変親しくしていた友人が、ガンで死んだんです。喜劇俳優だった彼は、常に「人間、死んだらそれまでだ。死んだら何も無い」と、ジェスチャーをまじえて、おもしろおかしく話していました。

ところがその彼がガンになった。
で、彼は、よせばいいのに看護婦をだましたり、すかしたりして、とうとう自分が、ガンであることをさぐりだした。

しかもそれを確かめようとしたその結果、それが動かしがたい事実であり、なおかつ余命は半年もない、ということまで知ってしまった。

それからの彼は、別人のようにガラッと変わってしまった。

見舞いに行き、エレベーターが彼の病室のある階に止まると、その男の泣き声が聞こえるんです。しかもそれは、メソメソ、シクシクなんて泣き方ではない。もう、ワーッと泣くんですな。

周囲の人に聞くと、トイレに飛び込み、流した水の音に隠れてワーワー泣いたりもしたらしい。無理もない話だが、自分をコントロールできなくなっちゃったんですね。それで、たまりかねて聞きましたよ。

「あなたは、死んだら無だといつもあれほど、大きな声でいってたじゃないか。何か根拠があったからこそ、そういって笑ってたんでしょ?今になってそれが崩れてしまうというのは、一体、どういうことなんだ」

そしたら彼は言いました。

「実は何の根拠もなかったんだ。ただ、死の先が見えないんで、無といってただけなんだ」

それで辛く、苦しくなり大声で泣くんですな。結局は死が怖いからなんだ。じゃあ、なんでそんなに怖いのか、それは死後の世界のことを知らないからだ。ならば知ればいい――で研究を始めたというわけです……。


「今、何もできずにいる自分など
一銭の価値もない」(キューブラ・ロス)
『死ぬ瞬間』などの著書で世界的に有名な精神科医、キューブラー・ロスは、ターミナルケア(終末医療)の先駆者として、40数年にわたり数千人の人々の最期を看取ってきました。

死に行く人を励まし、愛の言葉で力づけてきた功績で、聖人とも聖女とも呼ばれていた彼女は、晩年脳梗塞に倒れ、豹変しています。

「もうこんな生活はたくさんよ。愛なんて、もううんざり。よく言ったもんだわ」
「聖人? よしてよ、ヘドが出る」

そして孤独でだれにも会いたがらず、夜になって鳴き声の聞こえてくるコヨーテや鳥だけが友人、と語っています。

インタビュアーが、あなたは長い間精神分析を受けたので、それが役立っているだろうに、と問いかけると、精神分析は時間と金の無駄であった、とにべもない返答がかえってくる。

彼女の言葉は激しい。自分の仕事、名声、たくさん届けられるファン・レター、そんなのは何の意味もない。今、何もできずにいる自分など一銭の価値もない、と言うのだ。(河合隼雄「平成おとぎ話」京都新聞)

死は誰にでも訪れるものだから恐れなくてもよい、と他人を励ましてきた人が、自分の死に対してはとてもそうはいかなかった。幻滅して、離れていってしまったファンも多かったようです。

平生、どんなに理想や真理を口にし、知識や教養を山積みしていても、眼前に迫る後生には何の解答も与えてくれないようです。