L03-宗教は民衆の阿片である/カール・マルクス「宗教は民衆の阿片である」(カール・マルクス) 今や総崩れの観を呈しているマルクス主義ですが、皮肉にも、この言葉だけは健在です。『へーゲル法哲学批判序説』の中の一節。 マルクスの思想を実現しようとしてロシア革命を指導したレーニンは、「宗教は毒酒である」とも言っています。
昔々、天地万物を創造した神がいて、人間をも造り、運命を与えたとする、キリスト教の幼稚な教義を丸ごと信じてしまえば、確かに理性はマヒしてしまいます。 今日の日本でも、阿片のような宗教に脳髄までどっぷりつかっている人が、いかに多いことでしょうか。 最近では、「仏陀の再誕」と放言する大川某の「幸福の科学」なども、その一例です。 すべての宗教は同じ真理に帰結するという万教帰一を吹聴し、釈迦の悟りは、モーゼやイエスと同様のものであるなどと言うのですから驚きです。 宗教の正邪を厳然と説かれた釈尊は、「一切の外学九十五種は、みな悪道に趣く」と邪教を徹底的に糾弾され、その釈迦の教法を「われも信じ、人にも教え聞かしむるばかり」と仰有った親鸞聖人また、「九十五種(仏教以外の宗教)世をけがす、唯仏一道きよくます」と述べておられるからです。 大川の著書『親鸞聖人霊示集』には、「親鸞聖人の過去世は、イエスの弟子パウロ」「念仏を唱えさえすれば成仏間違いない」「この世界は、神仏のつくられた世界」などと、デタラメの言い放題。 しかもこの手の本が、書店に並び、大衆を惑わせているのは、いかに末法とはいえ、悲しい現実です。 英国の作家、バーナード・ショーは言います。 「信ずる者が疑う者よりも幸せだという申し立ては、酔っぱらいのほうが、しらふの人間よりも幸せだという申し立てと同じく、まったくの的はずれである」 悪酔い中毒患者の多い実態を知れば、世界の偉人・釈尊の正しい教法、阿片でない真実の教えを、多くの人々にお伝えする大切さを、いよいよ痛感するばかりです。
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