T05-人間を美化しすぎたルソーの最後

人間を美化しすぎたルソーの最期

「すべての人間の知識のうちで、最も有用でありながら、最も進んでいないものは、人間に関する知識であるように思われる」(ルソー)

”汝自身を知れ”というのがいつの世も金言なのは、我々にとって最も不可解なのが、他ならぬ我々自身であるからです。

18世紀フランスの思想家ジャン・ジャック・ルソーもまた、自己をさがし続けた一人でした。

誕生と同時に母親と死別、父親は幼い息子を親戚に預けたまま蒸発、以後ルソーは、ほとんど学校にも通わず、各地を転々として生きてゆきます。

一躍有名になったのは、1750年に出版した『学問・芸術論』によって。「文明の進歩は人間を幸福にしたか」というアカデミーの懸賞論文に、科学の進歩こそ人間を幸福な自然状態から堕落させたと主張し、見事に当選したのです。

「自然へ還れ」という有名な言葉に象徴されるように、ルソーは、人間が本来もつ自由、無垢、美徳などを取りもどし、自然状態に近づくことを提唱しました。

人間の自由と平等を論じた「社会契約論」は、そうした彼の人間観がよく表れています。


フランス革命はその理想とは裏腹に、人間の欲望
とエゴが交錯し、果てはナポレオンの独裁を許して
しまう。自由、平等、博愛…
しかし、彼の思想の影響を強く受けたフランス革命は、どうだったでしょうか。”自由、平等、博愛”という高邁な理想とは裏はらに、ルイ16世を処刑し、旧体制を崩壊させると、人間の欲望とエゴがムキ出しになりました。幸福な自然状態どころか、無秩序と混乱がくり返された果てに、ナポレオンの独裁を招来するのです。

ルソーはまた教育論『エミール』を著し、「父親の義務を果たすことのできないものは、父親になる資格もない」と言いながら、自分の5人の子供たちは、生まれるとすぐ育児院に放りこんで、厄介払いをしています。

これほどの言行不一致も、古今に珍しいのではないでしょうか。

人間を美化しすぎたルソーは、最後の10年間、半狂人となって死んでゆきます。

知るとのみ思いながらに何よりも 知られぬものは己なりけり